■トランプ政権のエルサレム首都承認と国際法


ヌーラ・エラカート


ラトガース大学准教授。弁護士。専門は国際人権・人道法など。学術誌Journal for Palestine Studies編集委員。Al-Shabaka(パレスチナ政策ネットワーク)顧問。「対イスラエル学術文化ボイコット・キャンペーン」助言委員。著書にJustice for Som : Law and the Question of Palestine (Stanford University Press, 2019) など。


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BDS japan 発足集会 in 関西「パレスチナの平和のために日本でできること」

2018年12月14日 於・エルおおさか 通訳・佐藤愛

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こんにちは、そしてありがとうございます。ここに来てまだ間もないのですが、すでに心動かされる経験をしています。先ほどBDS Japanのメンバーとお食事をご一緒し――出てくる料理の量がアラブ世界の子どもサイズ相当で驚いたのですが――パレスチナを訪れたことのある同志の皆さんのお話をたくさん伺いました。パレスチナ問題が、世界中いたるところの人々を突き動かすグローバルな問題であることを認識し、感動しています。目を開かれ、謙虚な気持ちになると同時に元気が出てきます。


米国のイスラエル支援とエルサレム問題


BDS japan事務局の役重善洋さんから、米国の外交政策に関心をお持ちの方々が多いと伺いました。現在のドナルド・J・トランプ政権は、エルサレム問題からUNRWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関)への援助停止、西岸地区における援助削減、そしてガザ地区への対応まで、米国の外交政策を大幅に転換させました。この中でも特に大きいのはエルサレム問題だといえるでしょう。今回の滞在中、これらのトピックの中から毎日1つずつ取り上げてお話する予定です。本日はとりわけエルサレムに焦点を絞ろうと思います。最初に申し上げたいのは、トランプ政権の動きは派手ではあるものの、その目的は実のところ、過去50年間にわたる米国の外交政策に沿っているということです。


おおまかな流れを確認しましょう。米国、あるいはトランプ政権は、2017年12月、自国の大使館をテルアビブからエルサレムへ移転すると発表しました。これは一見、非常に大きなシフトでした。というのも、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが東エルサレムを含む西岸地区を占領してから今日まで50年間、米国は国際社会と同様、イスラエルの武力による土地の獲得の違法性を認め、国連安保理決議242および「土地と和平の交換」枠組みで定められたとおり、エルサレムの将来的地位は政治的交渉によって決定されるとする立場をとってきたからです。


ここで別の議論も出てきます。イスラエルは果たして占領した土地の全てを返還する義務があるのかという議論です。これには6日間続いた1967年の戦争がイスラエルによる侵略戦争だったのか、あるいは自衛戦争だったのかという点が絡んできます。後者の場合、イスラエルには占領地を保持する権利が生じるということになります。結論だけ述べると、安保理では、同年夏の交渉の結果、イスラエルにとって自衛戦争だったということになりました。このことによって「土地と和平の交換」という枠組みが可能となり、イスラエルは土地を保持することが許されることになりました。米国は1967年以来、イスラエルが東エルサレムを含む西岸地区に駐留していることは国際法違反であり、和平プロセスに弊害をもたらすと主張してきました。しかし実のところ米国は二枚舌で、他方ではイスラエルがエルサレムを漸進的に併合して自らの支配下に置き、パレスチナ人を追い出すのを手助けしてきたのです。


米国はいかに「手助け」をしてきたのか? その始まりはリンドン・B・ジョンソン政権が1967年に開始した2つの政策までたどれます。その一つは、第三次中東戦争後のイスラエルがアラブ諸国のあらゆる勢力に対して、質的軍事優位性(QME)を保つことを保証するものでした。言い換えると、米国はイスラエルに、アラブ世界の正規軍・非正規軍のいずれが相手でも、これらが単独でも連合してきても、問題なく勝利を収められるだけの軍事的援助・支援を与えることを決めたのです。これによってイスラエルは、中東で最強の軍隊を持ち、中東で唯一核兵器を所有し、世界でも11番目に数えられる軍事力を誇る国になりました。


さらに第二の政策として、米国は、「土地と和平の交換」枠組みにおける政治的解決にコミットしてきたがゆえに、安保理での制裁や国際法からことごとくイスラエルを守ってきました。なぜならエルサレムに国際法を適用すれば、イスラエルが政治的交渉における切り札を失ってしまうからです。イスラエルを最大限有利にしたい米国は、国際法は解決策の一環ではなく問題そのものだと主張し、イスラエルが優位性を失わないようにしてきました。


イスラエルの中東における圧倒的軍事力の維持と、法的枠組みの縛りを受けない法的プロセスとを可能とする支援――これらの組み合わせによってイスラエルは、過去50年にわたり、エルサレムを少しずつ削り取って自分たちのものとすることができました。そのため今、2017年に米国が大使館移転を発表したところで、現実問題としてはさほど具体的な変化はありません。というのもパレスチナ人は過去50年にわたり、エルサレムからの排除を耐え忍び続けてきたからです。


ここまでのお話は、実はまだ導入です。このプレゼンテーションの本論を、大きく3パートに分けたいと思います。まず、1947年から現在までにかけてエルサレムの問題に適用されてきた法的レジーム(体制・枠組み)を概観します。続いて米国の介入と、その介入が何をもたらしたかを検討します。最後に、先へと進む道筋を考えたいと思います。


国連総会決議181号


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3つの法的レジーム

◾1947-1966 国連総会決議181号

◾1967-1992 国連安保理決議242号 + 占領法規

◾1993-現在 和平プロセル

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ここに挙げたのが3つの法的レジームです。1947年から1966年にかけてエルサレムの問題を規定していたのは国連総会決議181号。1967年から1992年にかけては、国連安保理決議242号と占領法規。そして1993年から現在までは、オスロ和平プロセスがこの問題を規定してきました。


国連決議181号が提案されたのは1947年11月です。国連パレスチナ特別委員会で協議されたこの決議は、「英国が委任統治期に主導した破滅的な政策に対し、国際社会はどうすべきか」という問いへの応答でした。ここでいう英国の政策とは、パレスチナの地をユダヤ人の民族的郷土として約束しておきながら、同時にパレスチナ人を国際連盟規約に基づいて独立へ導くことにコミットするというものでした。国連決議181号に基づくパレスチナ分割案については、集会のパンフレットにも載っているので、皆様もよくご存じかもしれませんね。



この分割案をざっくりと説明すると、1947年時点で全人口の30%を占めていたユダヤ人には土地全域のうち55%を、70%を占めていたパレスチナ人には薄い黄色で示された45%を与えるというものでした。白い部分はエルサレムです。ここは国際管理下におかれ、いかなる国家の支配権も及ばないものと定められました。3つの一神教にとっての聖跡を30か所も擁するエルサレムは、宗教的にきわめて重要な土地です。ゆえに国連決議181号においてエルサレムは、いかなる単一の主権の管理下にも置かれることのない「分離体(corpus separatum)」となるとされています。


1948年、武力によって建国されたイスラエルは、エルサレムの85%を占領しました。11%はヨルダンの支配下に置かれ、4%はノーマンズランド(中間地帯)のままとなりました。続いてイスラエルは西エルサレムを首都として宣言し、国連決議181号を拒否しました。181号決議は分割案の大枠を提示することでイスラエルの国家としての正当性を根拠づけている決議です。しかしイスラエルは、エルサレムのことになると181号決議を拒否するのです。イスラエル側の言い分は、パレスチナの側もどうせこの決議を拒否しているのだからいいだろう、ということ。また国際社会がイスラエルの武力による建国に力を貸さないせいで、自ら動かざるをえなかったからだ、ということ。こうしてエルサレムを占領したイスラエルは、この都市に181号決議はもはや適用されないとして、イスラエルの管理下に置きました。


1967年の戦争後、イスラエルはエルサレムの全域を占領しました。ヨルダンの支配下にあった11%も、ノーマンズランドだった4%も。そして7月には、東エルサレムを併合しました。




この地図にはエルサレム市の境界が描かれています。1948年に西エルサレムを手に入れたイスラエルは、1967年に残る東エルサレムを占領しますが、それだけでなくエルサレム市の範囲を以前の10倍にまで拡大しました。言い換えればイスラエルは、1967年7月に、これまでよりもはるかに大きくなった東エルサレムを行政管理下に置いたのです。右の地図が1967年7月、面積を大きく広げたエルサレムです。


>>次回につづく