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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

沖縄戦から77年目の沖縄慰霊の日。沖縄戦とウクライナ戦争に共通する教訓は、戦争を起こさないためには軍事費を増大して軍拡をすることではなく、そもそも戦争を国にさせないための憲法9条が宝だという事だ。

2022年06月23日 | 日本国憲法の先進性

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 沖縄は2022年6月23日、アジア太平洋戦争末期の沖縄戦から77年目の「慰霊の日」を迎え、各地で平和への祈りがささげられ、最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれました。

 なぜ、沖縄戦で20万人もの無辜の市民が犠牲になる悲劇が起きたのか。

 それは、戦前の大日本帝国が中国や南方諸国に侵略を続け、1945年12月8日にはアメリカ合衆国のハワイに真珠湾攻撃をかけて、世界を相手に戦争をし、しかも東京や大阪などに大空襲を受けても戦争を止めようとしなかったからなのです。

 そのため、沖縄だけではなく8月には広島長崎にも原爆が投下され、やはり数十万人が亡くなり、それ以上の数の被爆者が原爆症に苦しむことになりました。

 沖縄の悲劇はひとえに日本が侵略戦争をしたことが原因。

 その反省の下にできたのが戦争を放棄し、武力も戦力も放棄した日本国憲法9条です。

ロシア軍によるウクライナ侵攻を憲法9条改悪や緊急事態条項創設など改憲の口実にさせるな。むしろ米軍やNATOの軍事的圧力ではプーチン大統領の蛮行を止められなかったことを重視すべきだ。

 

 

 いま、ロシアがウクライナを侵略しています。

 かつての日本はこのロシアと同じことをアジアの諸国に対してしたのです。

 ウクライナ戦争を機に、日本では軍事費を2倍にするだの、核兵器をアメリカと共有するだのと言うトンデモない議論が自民党や日本維新の会を中心に巻き起こっています。

 しかし、戦前の大日本帝国が巨額の費用をかけて軍事大国をつくったら、日本に暮らす市民は安全になりましたか?

 戦争は防げましたか?

 それどころか、日本がナチスドイツやファシズムイタリアと三国同盟を組んで、世界相手に戦争を起こし、2000万人もの市民を殺して、自国の民300万人を死なせてしまったではないですか。

 

麻生太郎自民党副総裁が「かつてロシアは日本に一方的に侵略してきた。危険だ」。そこに日本が領土を持っていたのは、日本が中国を侵略してでっち上げた満州国があったからだということを忘れるな。

 

 

 ウクライナ戦争の教訓は、日本が軍事費を倍増して、中国やロシアや北朝鮮と軍拡競争をすべきだということではありません。

 ウクライナ戦争からわかるのは、日本が徹底的な平和主義を貫き平和外交に徹する非軍事国家でいることこそが、世界はもちろん日本にとっても最高の安全保障になるのだという厳然たる事実なのです。

 軍需産業と軍隊が結びついた利権集団のことを産軍複合体というのですが、彼らがウクライナ戦争を利用して日本を再び軍国主義にしようとしています。

 沖縄の、全国民の苦難の末に憲法9条を手に入れた日本の我々市民が断固として軍国主義を拒否して、世界の平和主義の先頭に立つことこそが、亡くなった方々への最高の供養になると思います。

米軍に焼き払われる沖縄の村。

 

翁長知事の辺野古訴訟での意見陳述全文。「沖縄の自由・平等・人権がないがしろ。これは魂の飢餓感」。

 

沖縄の本土復帰から50年。「土人発言」に象徴される本土の人間の沖縄差別意識が、日本の0・6%の面積しかない沖縄に70%の米軍基地を押し付け、本当の意味での「本土並み復帰」を妨げている。

 

関連記事

日本国憲法改悪の危機。護憲派は「ウクライナ戦争」に対する意見の相違はさておき、国内的には自民党改憲案に反対する、憲法9条を守り緊急事態条項を阻止する、この1点で大同団結し直そう!

【#憲法変えるな政権代えよう】 憲法9条に自衛隊を書き込むことの危険性。真正面から合憲な存在になった自衛隊の軍拡、海外派兵、集団的自衛権の行使はもはや歯止めが利かなくなくなる。

自民党に続いて発表された日本維新の会の憲法9条改悪案がさらに危険すぎてお話にならない件。自民党は自衛に「必要な最小限度」、維新の会はさらに自衛に「必要」という縛りさえ外してしまった。

憲法学にまるで「ど素人」同士の橋下徹氏と篠田英朗教授の罵りあいは、どちらも憲法について全く誤解しておりナンセンス。憲法9条は戦争前も戦争中も戦争後も国家権力を制約する。

【混ぜると危険】橋下徹氏「最高指揮官だったら戦闘員に対してどこをゴールにして戦わせるか」 高市政調会長「申し訳ないが最後まで戦っていただくことになる」と一億総玉砕の回答【#維新と自民に殺される】

TBS世論調査で日本が専守防衛を「見直すべき」52%、「見直すべきではない」28%。ロシアのウクライナ侵略で浮足立つ一般市民は、ウクライナ戦争から得られる教訓を誤解している。

 

 
 

改憲を声高に主張してきた安倍晋三氏が初めて総理大臣になった第一次安倍政権のときに、危機感を感じた著名人が呼びかけ人になって九条の会運動が起こったのですが、ウクライナ戦争を目の前にして世論が動揺している今、憲法9条改悪の危険度は今がむしろ最高潮だと言えます。

この後の人生を、憲法9条を変えられてしまったつまらない世界で生きていくのか、まだ平和を希求し続けられるのか、今が剣が峰だと思っています。

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正午の時報に合わせ黙とうをささげる沖縄全戦没者追悼式の参列者=23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園

 沖縄は23日、戦後77年の慰霊の日を迎えた。午前11時50分、糸満市摩文仁の平和祈念公園では、家族を思いながら犠牲になった人々をしのび、恒久平和を願う「沖縄全戦没者追悼式」(県、県議会主催)が始まった。2020年の新型コロナウイルス流行以後、式典は縮小されてきたが、今年は戦争体験者の高齢化に配慮し、340人の参列者が招待された。参列者らは、正午の時報とともに黙とうをささげ、熾烈(しれつ)な戦闘に巻き込まれた住民ら20万人余のみ霊を慰め、世界の恒久平和を誓った。

 県遺族連合会の宮城篤正会長の追悼のことばや玉城デニー知事による平和宣言、沖縄市立山内小学校2年の德元穂菜さんによる平和の詩「こわいをしって、へいわがわかった」が朗読された。玉城知事が読み上げる平和宣言は、初めて一般から意見を募集し、取りまとめられた。

▼【動画】平和の詩 「こわいをしって、へいわがわかった」

 今年は3年ぶりに首相が招待され、岸田文雄首相をはじめ細田博之衆議院議長、山東昭子参議院議長が出席し、来賓あいさつをした。同日午前に来県した岸田首相は式典に先立ち、祈念公園内の国立戦没者墓苑、島守の塔で参拝、献花した。

 23日は県内各地で追悼式が行われており、糸満市米須の魂魄の塔では早朝から遺族らが手を合わせた。平和祈念公園では、戦没者の名が刻まれた平和の礎の前に多くの家族連れが訪れ、お年寄りらは刻銘された名前をなでながら記憶の中に生き続ける故人に語りかけ、傍らで手を合わせる子や孫に平和の尊さを伝えていた。平和の礎には、国内外の戦没者、計24万1686人の名が刻まれている。


 

 

沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦から77年の「慰霊の日」を迎え、各地で平和への祈りがささげられています。最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれました。

昭和20年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、20万人以上が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。

6月23日は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日とされ、沖縄県が「慰霊の日」と定めています。

最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園には、遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎に手を合わせていました。

平和祈念公園では正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が、岸田総理大臣や沖縄県の玉城知事などおよそ300人が参列して開かれ、正午に全員で1分間の黙とうをささげました。

このあと玉城知事は「平和宣言」を読み上げました。
この中で「ことしは本土復帰から50年。今も国土面積のおよそ0.6%の沖縄に在日アメリカ軍専用施設面積のおよそ70.3%が集中し、アメリカ軍基地から派生する事件・事故や騒音、環境汚染など、県民は過重な基地負担を強いられている」と述べ、基地のさらなる整理・縮小や普天間基地の移設断念などを訴えました。

岸田総理大臣は、沖縄にアメリカ軍基地が集中していることを重く受け止め、基地負担軽減の目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げていくと強調したうえで「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを貫き、世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中を実現するため不断の努力を重ねていく」と述べました。

このほか式では小学2年生の徳元穂菜さんが、ことしの「平和の詩」に選ばれた「こわいをしって、へいわがわかった」を朗読しました。

ことしの「平和の詩」【全文】

 
ことしの「平和の詩」に選ばれた沖縄市立山内小学校の2年生、徳元穂菜さんの詩「こわいをしって、へいわがわかった」です。

「びじゅつかんへお出かけ
 おじいちゃんや
 おばあちゃんも
 いっしょに
 みんなでお出かけ
 うれしいな

 こわくてかなしい絵だった
 たくさんの人がしんでいた
 小さな赤ちゃんや、おかあさん

 風ぐるまや
 チョウチョの絵もあったけど
 とてもかなしい絵だった

 おかあさんが、
 七十七年前のおきなわの絵だと言った
 ほんとうにあったことなのだ

 たくさんの人たちがしんでいて
 ガイコツもあった
 わたしとおなじ年の子どもが
 かなしそうに見ている

 こわいよ
 かなしいよ
 かわいそうだよ
 せんそうのはんたいはなに?
 へいわ?
 へいわってなに?

 きゅうにこわくなって
 おかあさんにくっついた
 あたたかくてほっとした
 これがへいわなのかな

 おねえちゃんとけんかした
 おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
 そして仲なおり
 これがへいわなのかな

 せんそうがこわいから
 へいわをつかみたい
 ずっとポケットにいれて
 もっておく
 ぜったいおとさないように
 なくさないように
 わすれないように
 こわいをしって、へいわがわかった」

 

 

2022年6月23日 07時12分 東京新聞
 太平洋の潮騒が絶え間なく聞こえてきます。沖縄本島南部糸満市の「平和創造の森公園」。丘の頂に、沖縄戦や南方方面で戦没した東京都関係者十万三千五百柱を慰霊する「東京之塔」があります。
 黒御影石でできた塔の背後にはガジュマルやテリハボクが生い茂る崖が迫ります。四月下旬、沖縄戦遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松(たかまつ)さん(68)が小柄な体でこの崖を下りていきました。琉球石灰岩に囲まれた中腹の窪地(くぼち)まで来ると、ヘッドランプをつけ地面を探ります。
 「これが足の指、こちらはすねの骨ですね」。収集歴四十年の具志堅さんは、腐葉土の下から小石と区別がつかない数個のかけらをすぐに見つけ出しました。言うまでもない、沖縄戦の犠牲者とみられる遺骨です=写真。

◆迫撃砲弾がここで炸裂

 はっきりと形が分かったのは、人の歯。「このすり減り方からすると高齢の住民でしょう」
 次に拾って見せてくれた長さ七〜八センチの金属片の説明には身震いしました。「米軍の六〇ミリ迫撃砲の砲弾の羽根です」。ここで砲弾が炸裂(さくれつ)したのだ! 窪地は身を隠すのに適した場所だったけれど、米軍は見逃さなかった。骨や歯は砲弾に吹き飛ばされた兵士や住民のものかもしれません。
 「鉄の暴風」と形容された米軍の激烈な砲撃を想像しました。
 糸満市など本島南部は約三カ月に及んだ沖縄戦の後半、日本軍が司令部を置いた首里(那覇市)から撤退する道筋に当たり、住民を巻き込む激戦地となりました。沖縄戦跡国定公園に指定され、東京之塔以外にもひめゆりの塔や魂魄(こんぱく)之塔などの慰霊塔が多数あります。
 七十七年後の今、具志堅さんら多くの沖縄県民が強く抗議しているのが、一帯の鉱山開発による土砂を防衛省が名護市辺野古沿岸の米軍新基地建設現場で埋め立てに使おうとしていることです。
 具志堅さんが遺骨を拾って見せてくれたのは、その鉱山開発予定地に接した場所でした。一帯に散乱し、風化した遺骨を土砂から取り除くことなど不可能です。
 「戦没者への冒涜(ぼうとく)」「死者を二度殺すことになる」
 二〇二〇年に計画が明らかになって以来、具志堅さんら有志は沖縄や東京でハンストを行ったり、全国の地方議会に土砂の使用中止を求める意見書採択を求めたりしていますが、国側は本島南部の土砂を実際に使うか否かは未定として何も手を打とうとしません。
 防衛省は当初、現在採掘している本島北部と県外から土砂を持ち込む計画でしたが、県が外来生物侵入を防ぐための土砂搬入規制条例を設けたため、ほぼ全量を県内から調達する方針に転換し、南部をその候補地としたのです。
 一六年に施行された戦没者遺骨収集推進法が遺骨収集を「国の責務」としているにもかかわらず、地上戦の戦場となった沖縄への配慮はまったく感じられません。
 南部の土砂使用には県も「(沖縄戦で)多くの犠牲者を出した県民の心を深く傷つける」(玉城デニー知事)と反対の立場です。
 昨年五月、業者に対し採掘前に遺骨の有無を確認することなど自然公園法に基づく権限内で精いっぱいの措置命令を出しましたが、業者側は命令撤回を求めて国の公害等調整委員会に裁定を申請し、審理が行われています。

◆未完のままの平和の礎

 辺野古埋め立て土砂は国の調達価格が割高なので、早く参入したいのが業者の本音でしょう。
 沖縄平和市民連絡会員で、辺野古の軟弱地盤の問題をいち早く指摘した土木技術者の北上田毅(つよし)さん(76)は「このままでは県全土の乱開発に歯止めがかからなくなる」と危惧しています。
 県内全域での土砂採掘に遺骨の有無などの調査を義務付ける条例制定を県側に働きかけているのも「戦場になったのは本島南部だけではない」との思いからです。
 沖縄戦の組織的戦闘が終わった慰霊の日のきょう、県の式典が行われる糸満市の「平和の礎(いしじ)」には新たに判明した五十五人の戦没者の名前が石碑に刻まれ、刻銘者数は米兵らを含む沖縄県内外の二十四万一千六百八十六人に上ります。
 県保護・援護課によると、沖縄戦の日本人戦没者のうち、いまだ二千七百十九柱(暫定値)の遺骨が未収集といいます。
 すべての遺骨が収集され、平和の礎に名が刻まれるまで、沖縄の土が無造作に扱われることがあってはならない。崖に散らばる小さな骨はそう語りかけてきます。 

 

 

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1 コメント

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ペリー来航から何も変わらぬ (肱雲)
2022-06-24 08:17:16
米帝の日本侵略は1850年代から始まりますが、ペリー日本来航の第一歩は浦賀ではなく沖縄でしたよね。
今も日米は沖縄を起点とする植民地支配被支配関係の儘です。米帝の日本支配への「ちむドンドン」を変えさせる第一歩は、日本人の沖縄への無知ドンドンを変える事から始まると思うのですが。

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