出版元の了承を得て以下の拙文をアップします。
「キャラバンサライ(第148回)サウジアラビアの“かぐや王子”」、『まなぶ』(2024年4月号)40~41ページ

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昨年秋のハマスによるイスラエル奇襲の動機はなにか。

 

多くの識者が、これはイスラエルとサウジアラビアの国交樹立交渉を邪魔するためだとの説を取っている。筆者は、これには懐疑的である。だが、いずれにしろ、なぜイスラエルはサウジアラビアとの国交を望んでいるのか。
 

アラブ・イスラム世界では、イスラエルは、パレスチナ人の土地を奪って樹立された不正な国家だと認識されている。エジプトやヨルダンなどはイスラエルと国交を結んでいるが、アラブ諸国の国民は決して、これを歓迎してはいない。

 

さて、このアラブ・イスラム世界の中で最も重要な国は、イスラムの二大聖地のメッカとメディナを支配するサウジアラビアだ。もし、このイスラムの総本山ともいうべきサウジアラビアに承認されれば、イスラエルにとっては大きな外交的勝利だ。しかし、イスラエルとの国交樹立に関しては、サウジアラビアが、いくつかの条件をだしている。その一つが、パレスチナ国家の樹立だ。それ抜きに国交を結べば、同国がパレスチナ人を見捨てた格好になるからだ。これではイスラム諸国の盟主のようにふるまっているサウジアラビアのメンツが潰れる。では、同国はイスラエルとの関係改善でなにを得るのか。


それは、周辺の大国イランの脅威に対抗するためだ。


その背景となる二つの事件が2019年にサウジアラビアで立て続けに起こった。そのうちの2番目に重要な事件から紹介しよう。


9月にイランがサウジアラビアの石油生産施設を攻撃した。イエメンのフーシー派が犯行声明をだし、大きく報じられたのだが、専門家は、攻撃の規模と精度からして、イランによる攻撃だと判断している。
 

そして次に、いちばん重要な事件が起こった。それは、なにも起こらなかったことだ。多くがアメリカによるイランに対する報復を予想したにもかかわらずである。これは、アメリカとサウジアラビア間の「暗黙の契約」の違反だ。
 

サウジアラビアは、毎年毎年、何兆円規模でアメリカの武器を買っている。それは、アメリカに保護してもらう保険料としてだ。いざという時に守ってもらうためだ。世間の言葉なら「みかじめ」料だ。ところがアメリカは、お金だけ受け取ってイランには報復してくれなかった。これにはサウジアラビアも驚き、慌てたことだろう。
 

アメリカの対応を、より正確には無対応を踏まえ、同国は二つの動きにでた。一つは、喧嘩はできないとの判断から、イランとの関係を改善させた。二つ目の動きは、イスラエルとの接近だ。アメリカが頼りにならないのであれば、別の親分にも近づいておこうというわけだ。水面下での接触が深まった。
 

しかし、これにも危険がある。イスラエルの基地などを受け入れないようにとイランから警告が発せられているからだ。そこで、サウジアラビアは、ふりだしに戻ってアメリカによる条約による安全保障を求めている。イスラエルとの国交を結んでイランに攻撃されてはかなわないので、サウジアラビアを守ると条約で約束してくれと要求しているのだ。パレスチナ国家の樹立だけでもむずかしいのに、安全保障条約までサウジアラビアは求めているわけだ。
 

同国で実権を握るムハンマド皇太子はインタビューで、イスラエルとの「国交樹立に向かって日に日に近づいている」と答えている。ただ、どのくらい近いかは言わなかった。まだ、地球と月ほどの距離が残っているのかもしれない。
 

この皇太子を見ていると、日本の竹取物語の主人公・かぐや姫の話を思いだす。求婚する男たちに姫は、かなうはずもない願いごとをする。それをかなえてくれたら結婚しよう、というわけだ。しかし、だれもかなえることができず、姫は未婚のまま月に戻ってしまう。ムハンマド皇太子はじつは、「かぐや王子」なのだろうか。月に行きそうな気配は見せてはいないが。


いずれにしろ、多数のパレスチナ人がガザで殺傷された。その流された血が乾くまでは国交交渉は停滞を余儀なくされるだろう。

 

-了-