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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

アカデミー賞受賞作「マリウポリの20日間」のチェルノフ監督のメッセージ。「それこそが我々が目にしたものを危険を冒してまで世界に発信し続けた理由であり、同時にロシアが激怒し我々を追跡しようとした理由」

2024年04月27日 | ロシアによるウクライナ侵略

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「おそらく私はこの壇上で、この映画が作られなければ良かった、などと言う最初の監督になるだろう」

 この発言は、第96回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した「マリウポリの20日間」の監督であり、ジャーナリストのミスティスラフ・チェルノフが授賞式の壇上で語った言葉です。

 

 

 AP通信社のビデオジャーナリスト、そしてウクライナ職業写真家協会の会長でもある彼は、ウクライナ東部の町ハルキウの出身で、2014年にAP通信に入社して以来、欧州やアジア、中東の主要な紛争、社会問題、環境危機を多数取材してきたそうです。

 彼は2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵略の直前にマリウポリが激戦地になると予想し、長年の同僚であるエフゲニー・マロレトカと、ウクライナの戦争に関連した問題を取材、報道しているワシリーサ・ステパネンコの3人の報道チームで共にマリウポリに入って同包囲戦の取材を行い、ロシアによるこの都市に対する攻撃の目撃者たちの証言を世界に伝えました。

 その様子を活写したのが、4月26日に公開を迎えた「マリウポリの20日間」です。

 このほど、チェルノフ監督から「マリウポリの20日間」劇場公開に寄せて届いた“STATEMENT(声明文)”が全世界に到着。

 静けさの中に強い怒りが滲んだ5800字超の文章によって、戦場の惨状を告白しています。

 

 

 その中で印象的だったのが次の部分。

『ロシアは電気や水、食料の供給を徐々に遮断していき、最後に、携帯電話やラジオ、テレビ塔を使用不能にしました。

マリウポリ市内にいた他の数人のジャーナリストたちは、完全に封鎖されて通信が途絶する前に脱出しました。

通信を遮断することはとても重要なことで、これにより2つの目的が達成されることになります。

第1の目的は、大混乱を生じさせること。何が起きているのかを知る手段が無くなり、人々は恐慌をきたす。

当初、マリウポリが何故これほど早く崩壊したのか、私には理解できませんでしたが、今では、コミュニケーションが不在となったことがその原因だったのだと思います。

第2の目的は、刑事免責です。マリウポリから情報が発信されず、破壊された建造物や瀕死の子供たちの画像が無ければ、ロシア軍は何事も意のままにできてしまう。

我々がいなかったとしたら、マリウポリの情報は皆無だったはずです。

それこそが、我々が目にしたものを、危険を冒してまで世界に発信し続けた理由であり、同時に、ロシアが激怒し、我々を追跡しようとした理由なのです。』

 

 

 イスラエル軍によるガザジェノサイドもかくやと思われる、ロシア軍によるマウリポリ包囲戦。

 チェルノフ監督曰く。

「そして日曜日、約400人が避難していたマリウポリの芸術学校をロシアが爆撃したと、ウクライナ当局が発表しました。

 しかし、そこに行って撮影することは、私にはもうできないのです。」

 その後、このロシア軍に占領されたままのマリウポリの今の状況はブラックボックスのように外部には知れないままです。

 ロシア軍による戦争犯罪と占領を固定化する「停戦」が、プーチン政権とロシア軍がウクライナをしているウクライナ戦争の場合はいかに非現実的で、非人道的かがわかる渾身のメッセージ、お読みください。

#ロシア軍はウクライナから即時無条件に完全撤退せよ

 

 

【「マリウポリの20日間」概要】

画像2

ロシアによるウクライナ侵攻開始からマリウポリ壊滅までの20日間を記録したドキュメンタリー。

2022年2月、ロシアがウクライナ東部ドネツク州の都市マリウポリへの侵攻を開始した。

AP通信のウクライナ人記者ミスティスラフ・チェルノフは、取材のため仲間と共に現地へと向かう。

ロシア軍の容赦ない攻撃により水や食糧の供給は途絶え、通信も遮断され、またたく間にマリウポリは孤立していく。

海外メディアのほとんどが現地から撤退するなか、チェルノフたちはロシア軍に包囲された市内に留まり続け、戦火にさらされた人々の惨状を命がけで記録していく。

やがて彼らは、滅びゆくマリウポリの姿と凄惨な現実を世界に伝えるため、つらい気持ちを抱きながらも市民たちを後に残し、ウクライナ軍の援護によって市内から決死の脱出を図る。

チェルノフが現地から配信したニュースや、彼の取材チームが撮影した戦時下のマリウポリ市内の映像をもとに映画として完成させた。・第96回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞し、ウクライナ映画史上初のアカデミー賞受賞作となった。

また、取材を敢行したAP通信にはピュリッツァー賞が授与されている。

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【STATEMENT(声明文)】

ウクライナのロシア国境からわずか20マイルのハルキウ市で育った私は、10代の時に、学校のカリキュラムの一環として銃の操作法を学びました。当時の私は、ウクライナは友好国に囲まれているのだから、こんなことは無駄なことだと考えていました。

その後、私は、イラクやアフガニスタンの戦争、そして、係争地ナゴルノ・カラバフの取材を行い、現地の惨状を世界に伝えようと努めてきました。しかし、アメリカ、そしてヨーロッパ諸国が大使館職員をキーウ市から退避させ始め、故郷の町から国境を挟んだ真向いで、ロシア軍部隊が増強されていることを知った時、私の心に浮かんだのは「何てことだ、祖国よ」という思いでした。

開戦当初の数日間、ロシアは、私が20代の頃まで過ごしたハルキウの非常に大きな自由広場を爆撃しました。アゾフ海に面しているという理由から、ロシア軍がウクライナ東部の港湾都市マリウポリを戦略上重要な目標と見做すはずだと、私は確信しました。そこで、2月23日の夜、AP通信での長年の同僚でウクライナ人写真家のエフゲニー・マロレトカと共に、マリウポリに向かいました。

我々がマリウポリに到着したのは午前3時30分のことでした。その1時間後に戦争が始まったのです。

最初の数日間で、マリウポリの住民43万人の約4分の1が避難しました。しかし、戦争が近づいていると確信していた人はごく僅かで、大部分の人たちが、自らの判断の誤りに気付いた時にはもう手遅れだったのです。

ロシアは電気や水、食料の供給を徐々に遮断していき、最後に、携帯電話やラジオ、テレビ塔を使用不能にしました。マリウポリ市内にいた他の数人のジャーナリストたちは、完全に封鎖されて通信が途絶する前に脱出しました。

通信を遮断することはとても重要なことで、これにより2つの目的が達成されることになります。

第1の目的は、大混乱を生じさせること。何が起きているのかを知る手段が無くなり、人々は恐慌をきたす。当初、マリウポリが何故これほど早く崩壊したのか、私には理解できませんでしたが、今では、コミュニケーションが不在となったことがその原因だったのだと思います。

第2の目的は、刑事免責です。マリウポリから情報が発信されず、破壊された建造物や瀕死の子供たちの画像が無ければ、ロシア軍は何事も意のままにできてしまう。我々がいなかったとしたら、マリウポリの情報は皆無だったはずです。

それこそが、我々が目にしたものを、危険を冒してまで世界に発信し続けた理由であり、同時に、ロシアが激怒し、我々を追跡しようとした理由なのです。

私は、沈黙を破ることがこれほど重要だと感じたことはありませんでした。

瞬く間にマリウポリ市内は死で一杯になりました。2月27日、我々は、榴散弾に当たった少女を医師が救おうとする様子を目にしました。その少女は後に死亡しました。2人目、3人目も亡くなりました。救急車は、電話が機能せず出動の要請を受けられなくなり、爆撃を受けて破壊された通りを走行することもできなくなったため、負傷者の搬送を停止せざるを得ませんでした。医師たちは、死亡した人々を運び込む家族を撮影するよう我々に懇願し、減り続ける発電機の電力を我々のカメラに使わせてくれました。我々の都市マリウポリで何が起こっているのかを世界では誰も知らないでいるのだと、医師たちは嘆きました。

病院と周囲の家屋が砲撃を受け、我々のバンも窓が割れ、側面に穴が開き、タイヤがパンクしました。時として、我々は炎上する家屋を撮影するために飛び出し、爆発の中を走って戻ることもありました。

当時のマリウポリ市内には、通信ネットワークに安定して接続できる場所がまだ1ヶ所だけ残されていました。そこはバディヴェリニキウ通りにある略奪された食料品店の外で、我々は1日1回その場所へ赴き、階段の下にしゃがんで写真や動画を世界へとアップロードしていました。階段では身を守ることはできそうにありませんでしたが、屋外にいるよりは安全に感じられたのです。

その回線も3月3日には途絶えてしまい、病院の7階の窓から動画を送信しようとしているとき、そこから、マリウポリという堅実な中産階級の都市の最後の断片が砕け散る様子を目にしました。

ポート・シティのスーパーが侵攻を受けていることを聞きつけ、砲撃や機関銃の銃声の中、我々はそこへ向かいました。数十人もの人々が、電化製品や食料、衣類を満載したショッピングカートを押して走っていました。そのスーパーの屋根で砲弾が爆発し、私は店外の地面に投げ出されました。二度目の着弾を警戒し緊張していた私は、カメラが録画状態になっていなかったことで自分をひどく呪いました。私がいた場所のすぐ隣のアパートに砲弾がヒューッという恐ろしい音を立てて命中し、私は、身体を縮めて、交差点の角の陰に隠れました。

10代の若者が、オフィスチェアに電子機器を積んで運んでいました。「友人たちとそこにいたのですが、僕たちから10mの所に着弾しました」と、その少年は私に語り、「友人たちがどうなったのか、分からないんです」と続けました。我々が病院に戻ると、20分もしない内に負傷した人々が到着し始め、その内の数人は、ショッピングカートで運ばれて来ました。

誰しもが、戦争が終わるのはいつなのかを知りたがっていましたが、私は答えを知りませんでした。

ロシア軍の包囲を打ち破ってウクライナ軍がやって来るという噂が毎日のように流れましたが、誰も来ることはありませんでした。

この頃には、病院での死や路上の死体、集団墓地に押し込まれる数十の遺体など、あまりにも多くの死を見ていたので、私は深く考えることもなく、人々の死を撮影していました。

3月9日、空爆が2回あり、産科病院から煙が上るのが見えました。我々が到着した時、救急隊員たちはまだ瓦礫の中から血まみれになった妊婦を引き出そうとしているところでした。

ある日、外出禁止の開始時刻まで残り数分というときに、バッテリー不足によって、画像を送信しようにも接続できる回線が無くなる事態に陥りました。病院への爆撃のニュースをどうやって送信するかについて我々が話し合っていたのを聞いていた1人の警察官が、電源が有ってインターネット接続が可能な場所に我々を連れて行ってくれました。「このニュースは、この戦争の流れを変えるでしょう」と、その警察官は言いました。そのときすでに我々は、非常に多くの死者、そして死んでいった子供たちを撮影していたので、これ以上の死が何かを変え得るという警察官の考えが、私には理解できませんでした。

しかし、私は間違っていたのです。

送信を早く済ませるため、暗闇の中、動画ファイルを3分割し、携帯電話を3台並べて、アップロードを行いましたが、全てを完了するのには時間がかかり、外出禁止の開始時刻をはるかに越えてしまいました。砲撃は続いていましたが、市内で我々を護衛するよう命令された警察官たちは根気よく待ってくれていました。

その後、マリウポリの外の世界との接続は再び切断されてしまいました。外界から隔絶されていた為、我々の報道の信用を失墜させようとするロシアの偽情報キャンペーンが勢いを増していたことを我々は全く知りませんでした。ロンドンのロシア大使館が、AP通信の画像は捏造であり、妊婦は偽物だったとする2つのツイートをポストし、ロシアの国連大使は、安全保障理事会の会合でその画像を印刷したものを掲げ、産科病院への攻撃についての嘘を重ね続けました。

一方、マリウポリでは、戦争についての最新情報を求めて人々が我々の所に押し寄せてきていました。数多くの人々が、マリウポリ外の家族に生きていることを知らせるために自分を撮影して欲しいと私に言ってきました。

その時点で、マリウポリでは、ウクライナのラジオやテレビの電波は停止しており、唯一聴くことが可能なラジオでは、ウクライナ人たちがマリウポリを人質化して建物に銃撃を加え化学兵器を開発しているというロシアのよこしまな嘘が放送されていました。これはプロパガンダとしては非常に効果的で、自らの目で反証を見ているにも関わらず、この嘘を信じ込んでしまった市内の人たちもいたほどでした。

「マリウポリは包囲されている。武器を放棄せよ」

ソ連風のメッセージ放送が絶えず繰り返されていました。3月11日、AP通信のエディターが、産科病院への空爆で生き残った女性たちを探し出して、彼女たちが実在していることを証明できないかと電話をかけてきました。その時私は、あの妊婦の映像は、ロシア政府が反応せざるを得ないほど強力なものだったに違いないと察しました。

空爆された産科病院の女性たちを、最前線の病院で見つけ出しました。その病院には、新生児を抱いた女性も出産中の女性もいました。また、我々が撮影した女性が新生児を失い、その後自らの生命も失ったという事実も、そこで聞きました。

我々は7階に上がり、弱々しいインターネット回線を使って動画を送信しました。その時、病院の敷地沿いに次々と戦車が集まってくるのが見えました。その戦車には、この戦争におけるロシアの標章となっている「Z」の文字が書かれていました。

私はそこで、数十人の医師たちや数百人の患者たち、そして、我々が包囲されていることを知りました。

病院を守っていたウクライナ人兵士たちは姿を消し、病院の外へ危険を冒して様子を見に行った衛生兵は狙撃により死亡しました。これによって、食料や水、撮影機材を積んだ我々のバンには近づくことができなくなってしまったのです。

夜明けに突然、十数人の兵士たちが、「ジャーナリストたちは一体どこにいるんだ?」と、押し入って来ました。兵士たちの腕章はウクライナを示す青でしたが、彼らが偽装したロシア人である可能性を疑ってから、私は、自分がジャーナリストであることを告げるために一歩前に出ると、兵士たちは私に向かって、「貴方たちを外に連れ出すために来ました」と言いました。

手術室の壁は、建物外の砲撃や機関銃の銃声で揺れており、屋内に留まった方が安全なように思われましたが、ウクライナ兵たちは私たちを連れ出すよう命令を受けていました。

私たちは、匿ってくれていた医師たちや砲撃を受けた妊娠中の女性たち、他に行く場所が無く廊下で寝ていた人たちを置き去りにして、通りに飛び出しました。彼ら全てを後に残したことで、私は酷く辛い気持ちになりました。

道路や爆撃を受けたアパートの残骸を通り抜ける9分間、あるいは10分間は、永遠のように感じました。近くに砲弾が落ちると、地面に伏せ、一回の弾着から次までの時間を計測しながら走る我々の身体は緊張し、呼吸は止まったままのようでした。次々に襲ってくる衝撃波に胸を揺さぶられて、私の手は冷たくなっていました。

やっとの思いで通用門に到着すると、装甲車で暗い地下室に運ばれました。その時になって初めて、私たちは、ウクライナ側が兵士の命を危険に晒してまで私たちを病院から連れ出した理由を一人の警察官から告げられたのです。

「もしロシア側が貴方たちを捕えれば、貴方たちは、カメラの前に立たされて、今まで撮影したものは全て嘘だと言わされます」

「マリウポリでの貴方たちの尽力や取材の全てが無駄になってしまうのです」

滅びゆくマリウポリを世界に見せて欲しいと以前に私たちに懇願したその警察官は、今度は私たちにマリウポリから脱出するよう要請しました。彼は、マリウポリを去る準備をしている数千台の使い古された自動車の方に私たちを連れて行きました。それが3月15日のことです。生還できるのかどうかは分かりませんでした。我々は車に3人家族と共にすし詰めになったまま、市内から5km続く渋滞に巻き込まれました。約3万人が、その日、マリウポリから脱出をしようとしていたので、車の内部をロシア兵たちがじっくり検分する時間も無いほどの台数だったのです。皆不安を感じていたのでしょう。人々は、口論し、互いに叫び合っていました。その間もずっと軍用機が飛び空爆が行われ、地面は揺れ続けていました。

我々が通過したロシアの検問所は15ヶ所で、検問所にさしかかる度に、自動車の前部座席に座っていた母親は、我々に聞こえるほどの大声で猛烈な調子で祈っていました。

3番目、10番目、15番目の検問所には、武装したロシア兵が配置されており、マリウポリが生き残るかもしれないという私の希望は、検問所を通り過ぎて行くにつれて潰えて行きました。ウクライナ軍はマリウポリに到達するのに非常に広大な地域を突破しなければならないこと、そしてそんなことは不可能であることを、私はそこで理解しました。

15番目の検問所の兵士たちは、我々の車列全体にヘッドライトを消すように命じました。それは、道路沿いに置かれた武器や装備品を見えなくするためでした。ロシアの車両に白い塗料で書かれたZという文字だけは何とか視認できました。

16番目の検問所で停車すると、ウクライナ人の声が聞こえてきました。私は溢れ出すような安堵感に包まれ、前部座席に座っていた母親は泣き崩れました。

我々は脱出したのです。我々はマリウポリを最後に離れたジャーナリストでした。現在、マリウポリにジャーナリストは残っていません。我々が写真や動画を撮った人々の安否を知りたい、というメッセージが今でも殺到しています。彼らは、まるで我々が他人ではないかのように、我々が彼らを助けることが出来るかのように、切実で親密なメッセージを送ってくれます。

我々が脱出した後、ロシア軍が数百人もの人々が避難所にしていた劇場を空爆したときに、生存者について取材し、瓦礫の山の下に何時間も閉じ込められる経験とはどのようなものかを直接尋ねるにはどこへ行けば良いのか、私は正確に指し示す事ができます。私はその劇場のことも、その周囲の破壊された家屋のことも知っています。私は、劇場の瓦礫の下に閉じ込められている人々を知っているのです。

そして日曜日、約400人が避難していたマリウポリの芸術学校をロシアが爆撃したと、ウクライナ当局が発表しました。しかし、そこに行って撮影することは、私にはもうできないのです。

 

 

プーチン政権はマリウポリを守っていたアゾフ大隊がネオナチだとして侵略戦争の正当化に使っていたのですが、同地でネオナチが蛮行を振るっていたという証拠がどうして出てこないのでしょうね。

ロシア政府によるとウクライナ軍が人々を殺戮していたはずのウクライナ東部2州からも、ロシアが占領して2年になるのに、ウクライナ軍の戦争犯罪の告発が上がってこないのはなぜなんでしょう。

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ロシアによる侵攻当初、激しい戦闘が行われたウクライナ東部の惨状を描き、アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画「マリウポリの20日間」のウクライナ人監督が19日、首都キーウで記者会見し、受賞は人々に希望をもたらしたとその意義を語りました。

記者会見をしたのはロシアによる侵攻当初、多くの市民が犠牲になったマリウポリの惨状を描いたドキュメンタリー映画「マリウポリの20日間」のミスティスラフ・チェルノフ監督ら3人です。

3月、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞して以来、ウクライナでは初めてとなる会見でチェルノフ監督は受賞について「ウクライナ全体の勝利だ。今まさに困難にあり人々が希望を必要としている時、諦めない力をもたらしてくれる」とその意義を語りました。

そしてマリウポリは侵攻当初に起きた最大の悲劇というだけでなく、その後、破壊されたすべての都市の象徴となったとしたうえで「自分たちが忘れられていないこと、声が届いているのを知ることが重要だ。だからこそこの映画が存在する」と述べました。

このドキュメンタリー映画は日本では4月26日から全国で公開される予定で、チェルノフ監督は「日本はウクライナの復興、破壊されたインフラの再生を支援してくれている。ウクライナの人々は犠牲者ではなく生存者だ。だからこそ支援が不可欠だ」と訴えました。

 

 

「マリウポリの20日間」 ©2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

「マリウポリの20日間」 ©2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

2024.4.26

時代の目:「マリウポリの20日間」 日常が地獄に変わる瞬間

毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。

2022年、ロシアが侵攻を開始したウクライナのマリウポリでは、一体何が起こっていたのか。国際紛争の取材を続けてきたAP通信取材班が、惨状としか呼びようのない現実にカメラを向けた。

民間人が住むマンションを容赦なく爆撃し、理不尽に命を奪っていくロシア軍。突然、住む場所や家族を失った人々が泣き叫ぶなか、涙をにじませて幼い子供の治療にあたる医師たち。空爆によって被害を受けた産科病院からはケガをした妊婦が運び出され、搬送先で亡くなってしまう。

胸が潰れるような場面の連続だが、これはウクライナの現状を世界に知らしめるべく命がけで撮影に臨み、脱出を試みたジャーナリストの決死の記録でもある。日常が地獄へと変わる瞬間を映し出し、戦争の恐ろしさと愚かさを生々しく伝えた作品の意義は大きい。NHK「BS世界のドキュメンタリー」でも放送され、今年の米アカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞を受賞。ミスティスラフ・チェルノフ監督は授賞式で「映画は記憶を形成し、記憶は歴史を形成する」と語っている。ウクライナで何が起こっているのかを知るために、間違いなく今見るべき作品だ。1時間37分。東京・TOHOシネマズ日比谷、大阪ステーションシティシネマほか。(細)

 

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7 コメント

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Unknown (津木野宇佐儀)
2024-04-28 00:46:21
私は「領土」云々は言った覚えがないですが
以下、理想論でスミマセン! 
「領土」問題は武力で決めるべきではないと考えています。
プーチン・ロシアの蛮行が許されない犯罪行為であるのは同意見でしょう。
でも、まずは、多くの生命や人生、財産、文化等を破壊する行為はいったん止めろよプーチン!というのが私の主張です。
(理想論はダメ!は受付けません、今は聞くだけにしてください)

ロシアでは厭戦やプーチンへの不満等々が高まっているとも聞きます(プーチンは戦没兵士の母親団体に圧力を加えているとも聞きます。)
反プーチンを援護すべきでもあります。

でも、こんな暴力的占領って日本の朝鮮支配と同じく、長続きしないかと。
Unknown (暗黒大将軍)
2024-04-28 00:52:19
クレムリン信者が蛇蝎のように忌み嫌う「ネオコンの魔女」、ビクトリア・ヌーランドが先月、国務次官を退官してたようですね

何せ旦那が「ミスター・ネオコン」ロバート・ケーガンですからね

オバマ政権で国務次官補だったヌーランドはマイダン政変の首謀者格だそうで、親露カスどもがドヤ顔する「こんなに簡単にプーチンが引っ掛かるとは思わなかった」なる会話音声とともにその悪どい仕事ぶりが偲ばれますね(笑)

もっともプーチンのほうも電光石火のクリミア乗っ取りで「こんなに簡単にホワイトハウスが引っ掛かるとは思わなかったぜ」と独りごちたでしょうが

ネオコンの退場は歓迎すべきことです
それは戦争が長引くことをウクライナの支援国のせいにだけしておけばよい、という三流世論の根拠が減少することですから

俺にしてみれば完成品の武器よりも優秀な素材、部品、或いは軍事技術も「輸出」し、ロシア国内の工業も側面支援する中国、インドのほうがよっぽど賢い「戦争屋」に見えますがね
Unknown (秋風亭遊穂)
2024-04-29 18:43:11
>オバマ政権で国務次官補だったヌーランドはマイダン政変の首謀者格だそうで

 たぶん、ネタ元はこちらの記事かもしれない。

 2014年、ウクライナにアメリカの傀儡政権を樹立させたバイデンと「クッキーを配るヌーランド」
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/087fd5204f4dd44820b6c490ec8ff92c03be266f

 遠藤誉氏のデタラメさは、今年の1/26の記事のコメント(2/8)で批判をした。ヌーランドの記事でも酷いウソを書いている。
 曰く、ーオバマ大統領がマイダン革命の背後で、アメリカが関与していたという事実を認めた。それは下斗米伸夫教授(法政大学)も認めた。ー
 ここにはウソがある。なお、遠藤氏はマイダン革命をクーデターと述べており、悪意に満ちている。オバマ大統領のCNNインタビュー記事は次にある。

Interview with President Barack Obama
https://transcripts.cnn.com/show/fzgps/date/2015-02-01/segment/01

 該当箇所を引用する。

引用開始----
And since Mr. Putin made this decision around Crimea and Ukraine, not because of some grand strategy, but essentially because he was caught off balance by the protests in the Maidan, and Yanukovych then fleeing after we'd brokered a deal to transition power in Ukraine.
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
プーチン氏がクリミアとウクライナをめぐってこのような決断を下したのは、何か壮大な戦略があったからではなく、本質的には、マイダンでの抗議行動によってバランスを崩し、我々がウクライナの政権移行を仲介した後にヤヌコビッチが逃亡したからです。
引用終わり----

 アメリカは”brokered a deal to transition power ”政権移行を仲介したと述べているだけ。革命以後のことだ。これを「クーデターに関与した」とするのはとんでもない曲解だ。そして情け無いことに下斗米氏も遠藤氏と同じ認識だ。遠藤氏が根拠とした下斗米氏の論考が次にある。ここでもクーデターと述べたり、ドンバスでの紛争を内戦としたり、これではロシア専門家とは認められない。

平成27年度外務省外交・安全保障調査研究事業
ロシア部会 「アジア太平洋地域における経済連携とロシアの東方シフトの検討」
https://www.jiia.or.jp/pdf/research/H27_Russia/

 ところで、Wikipediaにヌーランドの記事がある。日本語版では「彼女は「尊厳の革命」の主導的な米国側の指南役であり、」としている。この箇所については何も根拠が示されていない(英語版でも同じ)。このいい加減さには注意が必要だ。
 その後に「10億ドルの融資保証を含むウクライナへの融資保証を確立」とあるが、この支援は5月で、革命以後のこと。言うまでも無く政変のための工作資金とは無縁だ。

FACT SHEET: U.S. Assistance to Ukraine
「FACT SHEET: U.S. Assistance to Ukraine」、期間を2014/11/21で検索してください。

 一方、英語版には、「米国は1991年以来ウクライナの民主的な取り組みと制度、市民参加、そして良い統治に50億ドル以上を投資してきた」とヌーランドの発言を紹介している。彼女はこれらが「ウクライナが欧州進出を果たすための条件」であると述べた。
ヌーランドの発言 Remarks at the U.S.-Ukraine Foundation Conference
「Remarks at the U.S.-Ukraine Foundation Conference」で検索してください。

 ロシアはこれを反米プロパガンダに仕立てた。Wikipedia英語版には「ロシア政府はこの発言を取り上げ、米国がカラー革命を画策している証拠だと主張した。」としている。プーチンは、ウクライナが民主化の徹底、汚職の撲滅を進めたりするのがよほど困るようだ。
 米国にもそれなりの思惑があるだろう。だが、遠藤氏、下斗米氏の視点には小国の主体性を全く無視をする問題がある。ヤヌコビッチ政権下で汚職に苦しむ国民が民主化を目指していくことは当然で、諸外国がそれに対し支援をしていくことに何ら不自然な点はない。ウクライナが米国の支援を受けつつ民主化を進め、ロシアとも良好な関係を継続することも可能性としてはあったはずだが、プーチンはそれを嫌った。プーチンはウクライナを汚職と腐敗にまみれさせておきたい、つまり政治を不安定化させておきたいのである。支配下に置くために。
Unknown (暗黒大将軍)
2024-05-02 20:04:23
秋風亭師匠、詳しい解説とご指摘、有難うございます

このブログに寄せてもらった初めの頃は、「秋風亭」師匠、「時々拝見」師匠、今は亡き「三角四角」師匠で「3大師匠」がここの看板という印象でした

まぁ三角四角師匠も芸風を変えて復帰してほしいな、と思ってたりしますが

これからも読み応えのあるご指摘やツッコミをお願いします
暗黒大将軍さんにおすすめ (秋風亭遊穂)
2024-05-03 00:28:33
 親プーチン・反米拗らせ論者には、遠藤誉氏のような学識経験者(ロシア専門家ではないが)であっても堂々とデタラメを放っています。私がチェックしている、その類いの某弁護士ブログ(護憲派を自称しています。三角四角さんもここでコメントしてます)があって、まあ社会的地位の高い人なので注目度もあるのでしょう。ウクライナ戦争について散々なデタラメを繰り返していますが、とても賛同する人が多い。私たちは常にこうした認知の歪みにさらされています。これに惑わされないために何が必要なのか。いささか長いですが次の動画(加藤直樹氏の講演)をご覧ください。

「ウクライナ否定論」の正体~大国主義と「平和主義」の傲慢を超えて~
https://www.youtube.com/watch?v=-toJuxYNe1A

 常識力(良識・思慮・分別・教養等)と生きた歴史感覚(ある状況に置かれた人々はどんな選択肢をとるのかを考えること)を鍛えておくことが重要と述べています。これもメディアリテラシーの一つでしょう。
加藤直樹著「ウクライナ侵略を考える」 (raymiyatake)
2024-05-03 12:28:19
ウクライナに即時停戦を求め、NATO諸国からウクライナへの軍事支援に反対する伊勢崎賢治氏や野口和彦氏らが「たかが領土」だとか「援助している先進国はウクライナの実質的株主」などと発言するたびに、うちではこっぴどく、それこそ植民地支配をしている宗主国の発想、超上から目線だと批判してきました。

加藤直樹氏の「ウクライナ侵略を考える」を入手したので、近いうちに記事をアップしてご紹介しようと思っています。

その帯にある
『「反侵略」の立場から侵攻を相対化する議論を批判し、歴史的主体としてのウクライナを考え、二重基準を超えた「世界的公共性」への途を探る』
『それは私にとって。東アジア諸国の近現代史の中から聞き取った様々な声を思い出させるものだった。
ウクライナ人は、CIAの操り人形でもなければネオナチの悪魔集団でもない。
プーチンの救いを待つ哀れな人々でもない。
彼らは、彼ら自身の歴史の主体なのだ』

私の記事をFACEBOOKにシェアすると必ず湧いて出てくる親露派陰謀論者や反米拗らせ論者は、ゼレンスキー大統領をゼレ、ウクライナをウク、と略式表記する人が多いんです。
彼らに日本人が朝鮮民族を侮蔑するのと同じ、小国ウクライナ人を侮る気持ちが見て取っていたので、この加藤氏の問題提起はまさに我が意を得たりの思いでした。
ご無沙汰しております (kei)
2024-05-05 22:50:36
この問題にはずっと疑問を感じていますが、ウクライナ側がICJに告発した「ロシアの蛮行」にようやく判決が下されました。

https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/29917

結果は、ウクライナ側のほぼすべての告訴が却下されました。しかし、西側の報道は都合の良い一部だけを切り取って報告しているようです。

そんな中、イギリスの調査ジャーナリスト、キット・クラーレンバーグの記事「ロシアに対するICJへのキエフの訴訟が裏目に出て、ウクライナのジェノサイド告発に道を開いた」(『ミントプレス』2024.3.13)との内容の抄訳を青山学院大学名誉教授・羽場久美子氏が紹介しています。

ウクライナ側による虐殺の証拠ですが、ここでそれを主張する一部の画像を見ることが出来ます。
あまりに残酷なので、閲覧注意です。
ロシア側のプロパガンダの可能性も有りますが、もしこれが事実ならば、西側各国の罪は重いと思うのです。
https://ukrainecrisis.wiki.fc2.com

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