だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

アルゼンチン

2021-08-26 11:46:32 | Weblog

最近、アルゼンチンのことが気にかかっている。日本の近代化の歩みを勉強していると、日露戦争の時にアルゼンチンの将校が日本海海戦のさいに、命の危険を顧みず観戦武官として軍艦に乗っていたことを知った。その軍艦は開戦直前にアルゼンチン海軍から購入したもので当時最先端のものだった。日露戦争は日本が欧米列強と肩を並べることになった帝国主義戦争であるが、当時アルゼンチンは同じレベルの国力を持っていたようだ。

調べてみると、1860年代に全国統一をして近代化の基礎を確保したこと、グローバル経済の中で貿易を盛んにして経済発展を遂げたこと、先住民(日本はアイヌ、アルゼンチンはマプチュ)の土地を奪い、経済発展に活用したことなど、両国は並行して近代化を進めていた。

アルゼンチンは先住民族の肥沃な土地を奪うとともにヨーロッパから大量の移民を受け入れ、白人の国になった。20世紀に入るとブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれ、アルゼンチンタンゴが生まれ、都市文化が花開いた。日本も大正時代には豊かな都市文化を享受した。

世界恐慌が両国にも大きなインパクトを与えた。日本は5・15事件、2・26事件など軍事クーデター未遂事件が発生し、軍部の発言力が高まった。アルゼンチンも政治が行き詰まると軍事クーデターが起こるようになった。

一方、アルゼンチンは第1次大戦、第2次大戦には参戦せず、平和な時代を歩み、当時の先進国の立場を維持した。戦後すぐ大統領になったペロンは妻の”エビータ”とともに国民の圧倒的な支持を得た。

しかし戦後しばらく経つと激しいインフレなど経済運営に苦しみ、政治が行き詰まると軍部のクーデターが繰り返されるようになった。その度に社会は混乱し、都市ゲリラが生まれ、経済はさらに行き詰まり、先進国の位置から脱落していった。

一方日本は敗戦により軍部が解体され、戦後にできた自衛隊は文民統制が徹底されて、安保闘争など政治に行き詰まりがあっても軍事クーデターが起こることはなく(三島由紀夫のクーデターの呼びかけに自衛隊は応えなかった)、高度経済成長によって敗戦国から先進国の仲間入りを果たした。

もし、日本が太平洋戦争を起こさず、決定的な敗戦がなかったら、軍部の力がさらに強まり、アルゼンチンのようになったかもしれない、という気もする。

一方、アルゼンチンでは1976年に軍事クーデターで政権を取った軍部は、経済運営の行き詰まりで国民の不満が高まった時に、その目をそらすべく戦争を起こす。マルビナス/フォークランド戦争だ。大して準備もせずに開戦し、イギリス軍の反撃にあってあえなく敗北した。軍部の権威は地に落ち、その後はクーデターは起こっていない。

20世紀の初め頃から日本からアルゼンチンに多くの移民が渡った。戦後しばらくも沖縄からの移民が続いた。日本よりもアルゼンチンの方が経済的な成功の可能性が高かったのだ。それが20世紀末から「逆流」し、日系アルゼンチン人労働者が「dekasegi」として日本にやってくるようになった。

「世界には先進国と発展途上国と日本とアルゼンチン」がある、と言われることもあるそうだ。日本の「鏡」としてしばらく注目してみたい。

 

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