だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

環境問題は心の問題である

2020-08-31 22:25:49 | Weblog

 環境学に参入してから20年ほどが経ち、いつの間にかもうベテランの域に入ってきた。当初は、環境問題を解決するには、新しい技術と社会制度が必要で、それらを研究するのが環境学だと思っていた。先行研究を調べるうちに、新しい技術はいろいろ開発されているし、社会制度のアイデアについても無数に提出されていて、それなりに実践されていることがわかった。そのうち、問題の本質はそういうところにはないのではないかと思うようになった。

 その考えをまさに実証してくれたのが、昨今のメガソーラー開発問題である。太陽光発電技術が本格的に研究され始めたのはオイルショックのあった1970年代である。その後さまざまな素子が開発され、周辺システムも含めて1980年代には実用化された。ただしそれは高価なもので普及には限界があった。その後の技術開発や普及を推し進める社会制度のおかげで、徐々に価格は低下していった。その最後のひと押しが固定価格買取制度(FIT)という新しい社会制度である。コスト高の再生可能エネルギーの電気を作るのに投資をすれば、ほぼ確実に利益が出る買取価格と買取期間を政府が決める。割高な分は消費者が広く薄く負担する。電力自由化と併せて誰でも発電事業者になれるようにした。実に巧妙な仕組みである。FITがスタートした2012年から日本では急速に太陽光発電が普及し、今や設備容量はドイツを抜いて世界第2位、九州では昼間は日常的に電気が余るほどになった。世界的に広く普及したおかげでソーラーパネルの価格は劇的に低下し、発電単価は化石燃料の火力発電による電気と競争できるまでになった。

 しかしながら、新しい技術と新しい社会制度を組み合わせて、実際に起こったことは、新たな環境問題の出現であった。平地の未利用地での発電所の建設はすぐに土地が枯渇し、その後は、これは日本に限った特殊な事情であるが、一方では農地でのソーラーシェアリングが進んだ。そしてもう一方で山林の開発が進んでいる。山の木を皆伐して土地を造成し、そこに見渡す限りソーラーパネルを並べる。これは明らかな生態系の破壊である。

 実際の開発事案を観察すると、エネルギー事業などやったことのない業者が、まず土地を確保し、経済産業省からFITの認可をとる。FIT制度下での発電事業は確実に利益が出ると言っても、それは20年の長きにわたって適切にメンテナンスしながら発電所を運用して初めて得られるものだ。そこで、多くの業者は自分で発電事業をやるつもりはなく、土地とFIT認可をセットで転売して利益を上げようという目算である。そうやって「土地+認可」転がしが始まる。次々に事業者が買い取っては売り抜ける。最後に実際に木を伐って土地を造成しソーラーパネルを並べて発電事業をやる事業者が出てくる。この事業者もできた発電所を売却して短期的な利益を得ようとする。今度は「発電所転がし」が始まる。これは一種の「ババ抜き」で最後に発電所を買ったが思うように売れない業者がしかたなく発電事業を継続するということになる。

 もちろん志高く、地球環境問題や地域の活性化を考えて発電事業を行う事業者は多い。そういう事業者の多くは山の木を伐るような発電事業はやらない。明らかにその志と矛盾するからだ。山林での発電所開発は、単にお金が稼げるからやるという、有象無象の業者が多い。太陽光発電という最新技術とFITという最新の社会制度は、このような有象無象の業者たちに活躍の場を提供したわけだ。彼らの利益の源は私たちが払う割高な電気料金である。なんともやりきれない話だ。

 いくら良い技術を導入し社会制度を整えたとしても、山を単にお金儲けの場としか見ない心の持ち主にかかれば、環境問題を解決するどころか、新たに深刻な環境問題を引き起こしてしまう。

 たった半世紀ぐらい前まで、山は炭を焼いてお金を稼ぐ場でもあったが、それは切り株から萌芽が伸び再生する広葉樹の自然の営みを通してであった。山は草を刈って米作りの肥料とし、四季の山菜や鳥獣を得る命の源であった。人間が山の草を刈り木を伐ることで成立する生態系が里山である。人間も他の野生の動植物と同等の里山の一構成員だった。百姓は作物と対話し、漁師は魚と知恵比べをし、人々は時に狐や狸に化かされるほど、人間と他の生き物たちの交流があった。

 江戸の終わりから明治にかけて、草を取りすぎたり木を伐りすぎたりして禿山が広がった地域もある。その反省に立って、明治以降は各地で植林を行い、山の生態系を回復させて行ったのが近代日本の山の歴史である。

 また山は山神様、水神様としてそれ自体が信仰の対象だった。人間が愚かな行動をすれば、その罰として山は崩れ洪水や渇水となると信じられた。その神を鎮め、「何事もない」ことに感謝するために春秋のお祭りが欠かさず行われた。それは生態系の一員としての暮らしを成り立たせるために合理的な心の持ち方であり、地域社会のあり方だった。

 戦後の高度経済成長期を経て、私たちの暮らしは山の生態系に頼ることがなくなった。炭は石油に、山の草は化学肥料にとって代わられ、食べ物や木材は自動車を輸出するのと引き換えに海外から輸入され、人間そのものが山を捨てて都会に出て行った。その結果として私たちは他の生き物との交感も、山への信仰心も失った。そこに環境問題が出現する。

 技術や社会制度が不要と言いたいのではない。そこに心が伴っていなければ逆に事態を悪化させてしまうことがあるということを言いたい。とすれば、すでにいくらでもある技術や制度の研究をするよりも、人々の心はどういう時にどういうふうに変わるのか、これが環境学のメインテーマなのではないかと思う。

 

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