だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

イスラエル

2022-01-11 16:46:14 | Weblog

 私の研究室にイスラエルから留学生が来たご縁で、イスラエルとパレスチナ問題について勉強している。

 紀元前1000年頃からパレスチナにはヘブライ人(のちのユダヤ人)の王国が栄えたものの、ローマ帝国に征服される。紀元後になりユダヤ人の反乱が起きたが、紀元135年に最終的にローマに鎮圧され、ユダヤ人はその地を追われて散り散りとなった。その後ヨーロッパではキリスト教が盛んになると、イエスを殺したのはユダヤ人ということで、差別や迫害の対象となった。ユダヤ人たちはパレスチナに再び安住の地を建設することを長く夢見ていた。

 第一次大戦前、パレスチナはオスマントルコの一地方だった。大戦に参戦して敗北したトルコに変わり、戦後はイギリスの信託統治領となる。イギリスは大戦中に戦費をユダヤ資本から引き出すために、戦後にユダヤ人の国を作ることを支持することを約束していた。一方で、アラブ人たちには戦後の独立を、フランスとは戦後の分割を約束していた。有名な3枚舌外交だ。戦後にことが進まないうちに、ユダヤ人たちはパレスチナに土地を購入して住み着き始めた。ドイツでナチスが台頭しユダヤ人の迫害が始まると、パレスチナに移住するユダヤ人が急増、現地のアラブ人との緊張関係が生まれる。

 そして第二次大戦終結までに600万人あまりのユダヤ人がナチスによるホロコーストの犠牲となった。第二次大戦での日本人の犠牲者が300万人あまりなのに比べても卒然とする数字だ。今イスラエルに住んでいる人々の多くは大戦前後に世界中から移住して来た人たちだ。犠牲者を出していない家族はいないだろう。パレスチナに移住しようとしてかなわず、犠牲となったユダヤ人もたくさんいたと思われる。

 第二次大戦後、パレスチナではユダヤ、アラブ双方の武装勢力による武力衝突が激しくなった。これを逃れて周辺諸国に流出したアラブ人がパレスチナ難民だ。国際連合が事態の収拾に乗り出し、国連決議としてパレスチナをユダヤ人の国とアラブ人の国に分割してそれぞれ独立させるということになった。人口の1/3しかいないユダヤ人に半分以上のしかも肥沃な土地を与えるというこの決議にアラブ人は反発。その混乱の中で、イギリスは軍隊を引き上げて逃げ出した。1948年、イギリス軍が撤退を完了すると同時に、イスラエルは建国を宣言、それを認めないアラブ諸国はパレスチナに軍隊を侵攻させて戦争となった。第一次中東戦争だ。イスラエルでは独立戦争と呼ばれる。

 世界のユダヤ資本が資金を援助し、イスラエルはにわか仕立ての軍隊に第二次大戦終結で余っていた兵器を買いあさって戦った。また各国で第二次大戦に従軍したユダヤ人軍人が参戦し、練度に劣るアラブ諸国軍を退けた。結果として国連決議よりも広い範囲を占領して新生イスラエルはスタートした。残りの部分は地中海沿岸のガザ地区はエジブトが、内陸のヨルダン川西岸地区はヨルダンが併合した。

 1967年、イスラエル包囲網を整えたエジプト、ヨルダン、シリアがイスラエルに攻め込む戦闘準備を整えたところに、イスラエルが先制攻撃を加えて圧倒した。第3次中東戦争だ。この戦争はイスラエルでは6日間戦争と呼ばれる。その結果、シナイ半島、ガザ地区とヨルダン川西岸地区はイスラエルが占領した。シナイ半島はのちにエジプトに返還されたものの、ガザとヨルダン川西岸はずっとイスラエルの占領状態が続いている。

 1993年、ノルウェーの仲介で、イスラエルとパレスチナ解放機構の間で歴史的なオスロ合意が交わされた。ガザとヨルダン川西岸はアラブ人の国として独立しイスラエルと共存するという内容だ。その合意に沿ってパレスチナ自治政府(パレスチナ国)ができた。しかし、その直後からイスラエル、パレスチナ双方にこの合意に反対する強硬派が台頭した。パレスチナ自治政府もコントロールできないイスラム原理主義武装勢力ハマスとイスラエル・ネタニヤフ政権が衝突を繰り返してきた。ハマスはイスラエルの都市で自爆テロを繰り返した。イスラエルは報復として空爆を行い戦車で侵攻した。テロリストがイスラエル側に入るのを阻止するために、長大な壁を張り巡らせ出入りを厳しく制限した。

 昨年5月、ネットで流れてきた動画に私は釘付けになった。イスラエルの都市にロケット弾が飛んできて、イスラエルの防空システムがそれを撃ち落としている動画だ。「ええっ」と思った。その後調べてみると、撃ち落せなかったものが着弾し、イスラエル側でも市民に死者が出ていた。イスラエルはその報復としてガザ地区を激しく空爆し、子どもを含む多くの市民が殺された。どちらも市民が普通に暮らしているところに爆弾が落ちてきたのだ。

 ガザとヨルダン川西岸地区はパレスチナ自治政府が統治しているが、周囲をイスラエルに封鎖されて人々は苦しい生活を強いられている。周辺国に流出したパレスチナ難民も世代を重ねて苦しい生活が続いている。そして今でもユダヤ人もアラブ人も生命の危険にさらされている。

 イスラエルはこのようにして建国以来ずっと戦争状態にある。「周囲のアラブ諸国からつぶされる」という危機意識の下に国家を運営してきた歴史だ。男性は3年、女性も2年の徴兵義務がある。徴兵中に戦闘が行われることも当然あり得る。

 私のところに来た学生も徴兵を経ての留学だ。雑談でイスラエルをめぐる情勢の話になった時に、彼女は「それでも私たちはここで生きていくしかないんです」と語った。「ここしかないんです」と繰り返した。その言葉に私たちはただ耳を傾けるしかない。安易な質問やコメントはできない。私たちにできることはただもっともっと深く知ることだ。

 

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