これからもぜひ一日一回、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!!!
岸田政権は法的根拠がなく、また市民から多くの反対の声が上がっているにもかかわらず、あくまで故安倍晋三元首相の国葬を強行するつもりです。
松野官房長官は7月20日の記者会見で、安倍氏の国葬に対して良心的な市民や共産党・れいわ・社民党が
「弔意の強制につながる」
などと主張していることについて、
「国民一人ひとりに政治的評価を強制するとの指摘は当たらない」
と反論しました。
しかし、具体的にそのために取る手段は天皇が亡くなったときの「大喪の礼」のように休日にしないことだけ。
いくら安倍氏が絶大な権力を保持していたからと言って、憲法上の国の象徴である天皇と同じ扱いにできるわけがないのですから、これは配慮とは言えません。
7月12日の安倍氏の私的な葬儀でもこのありさまだったのに、これが国葬になったらどうなることか。
では、国葬を執り行っても、市民に対する弔意の強制にはならないと言えるのか、1967年10月31日にやはり閣議決定で行われた吉田茂氏の国葬の当日を振り返ってみましょう。
吉田氏の国葬は当時の皇太子夫妻(現上皇夫妻)ら皇族を含む約6000人が参列し、東京・千代田区の日本武道館で営まれました。
吉田氏の自宅のあった神奈川県大磯から武道館へと遺骨が運ばれるまでは、民放全局共同で中継をしたんだそうです。
「国民あげて冥福を祈る」の大号令の下、当日は競馬や競輪などの公営競技が中止となり、テレビから歌謡曲やクイズなどの娯楽番組が消え、代わりに 国葬当日は「宰相吉田茂」(NHK)、「人間吉田茂」(フジテレビ)など朝から晩まで全チャンネルで追悼番組を放送しました。
今回も国葬となれば、皇族も参列するでしょう。
そんな状況で例えば結婚式を挙げられる剛の者が日本にいると思いますか?
そういうおめでたいことはできず、どうしても自粛を強いられることになることこそが、人の内心の自由である思想良心の自由(憲法19条)を侵害する「弔意の強制」なのです。
【#安倍晋三氏の国葬に反対します】法律の根拠なく行われる安倍元首相の国葬は違法。そしてアベ政治を許さない納税者の税金を使って全額国費で行われる国葬はそれらの市民の思想良心の自由を侵害し憲法違反だ
日本武道館で行われる国葬に合わせ、全国各地に鳴り響くサイレンに合わせて職場や街頭で黙とうがささげられたのです。
そして、内外に多数の犠牲者を出したアジア太平洋戦争を受けた日本国憲法制定後に、軽武装路線を確立し、サンフランシスコ講和条約を締結した功労者である吉田茂首相は、サンフランシスコ講和条約自体の功罪・賛否はあれど、日本の議会制民主主義の破壊者と呼ばれたことはありません(「馬鹿野郎解散」はありましたが 笑)。
それでも戦前の国葬令も廃止されているのに、吉田氏を国葬にしようとした佐藤栄作首相に対しては多くの批判が上がりました。
しかし、安倍晋三氏は日本国憲法を踏みにじる安保法制・共謀罪・特定秘密保護法を制定し、しかもそれを議会制民主主義を破壊する強行採決で成立させました。
森友・加計・桜.を見る会など政治と金の問題がつきまとい、それに伴う国会での虚偽答弁も数え切れず、森友事件では赤木俊夫さんという犠牲者も出しています。
そのほか、報道への干渉、アベノミクスやコロナ対策の失敗、二度にわたる政権投げ出し、公文書や公的データの改ざん・隠匿、そして統一教会との関係など、およそ民主主義の確立への寄与とは真逆なことをし続けた政治家です。
自民党議員で統一教会と関係のある議員は98人。うち閣僚経験者34人。2019年の第4次安倍第2次改造内閣では大臣20人のうち10人が旧統一教会と関係。その自民党と統一教会の癒着の筆頭が安倍晋三氏だ。
しかし、安倍氏への評価が二分されているということよりも、誰を国葬にしても、その政治家は否が応でも神格化され、批判はどうしても封じられ、弔意は事実上強制され、その人物を評価せず弔意を持たない市民の思想良心の自由が侵害されるということが問題なのです。
岸田首相は日本の民主主義を守り抜く決意を示すために銃弾に倒れた安倍氏を国葬にするのだと言い張りますが、その国葬こそが国家主義的・全体主義的で、民主主義に最もふさわしくないことを思い至るべきなのです。
【#安倍晋三の国葬に反対します】岸田首相が安倍元首相を国葬にすると発表。森友事件で安倍夫妻をかばうために公文書を改ざんさせられ自死された赤木さんの事件一つとっても、安倍元首相は政治腐敗の象徴だ。
NHKの世論調査では国葬を評価するが49%、評価しないが38%ですが、地方紙の熊本日日新聞の世論調査では賛成42%、反対49%です。
いずれにしても4割の以上の人が反対しているのに、反対の声が聞こえてこないと言い切った茂木自民党幹事長の発言は言語道断です。
いずれにしても国論は二分しており、とても市民がこぞって国葬に賛成している状態ではありません。
こんな状況でどうして無理をして国葬にして、反対論を圧殺する必要があるでしょうか。
これからもぜひ一日一回、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!!!
松野博一官房長官は20日の記者会見で、国葬の日時・場所について「遺族をはじめ関係者と調整を行っている」と述べるにとどめた。野党が「政治的評価の強制につながる」などと批判していることに対しては、「安倍氏は憲政史上最長の8年8カ月にわたり首相の重責を担った。指摘は当たらない」と反論した。
首相経験者の葬儀は80年の大平正芳氏以降、「内閣・自民党合同葬」の形式が主流になっていた。安倍氏の葬儀を55年ぶりの国葬とすることは、岸田文雄首相が14日の記者会見で発表。「わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固守り抜くという決意を示す」と強調していた。
国葬には、世界各国から多くの弔問団の参列が見込まれ、費用は全額国費で賄われる。
政府は、安倍晋三・元首相の「国葬(国葬儀)」について、国民への理解を広げることに注力する。多くの海外の首脳級要人の参列が見込まれるため、安倍氏の外交面でのレガシー(政治的遺産)の継承を内外に打ち出す「弔問外交」の舞台としても活用する考えだ。
政府は「国民に必ず喪に服してくださいと強制するものではない」(木原誠二官房副長官)との立場を丁寧に説明していく構えだ。
戦前の国葬の法的根拠だった「国葬令」(1947年に失効)には、「国民は喪に服す」と明記されていた。安倍氏の国葬は、1967年の吉田茂・元首相の国葬と同様に閣議決定に基づき行われる。国葬令に基づく国葬とは位置づけが異なるのに、「戦前の国葬と同一視するような誤解や批判が一部で生じている」(自民党閣僚経験者)と懸念の声も上がっていた。
89年の昭和天皇の「大喪の礼」では、その年に限り、開催当日(2月24日)を休日とする法律を成立させた。今回は、休日とする措置は取らない方針だ。
政府は、「弔問外交」も国益に資するとみている。外務省幹部は「安倍氏が提唱した『自由で開かれたインド太平洋』の重要性を国際社会に発信する絶好の機会になる」と指摘する。
外務省は、国葬日程の正式決定後、各国政府などに案内を出す。吉田氏の国葬には、本国から派遣された12か国の特使を含め、73か国の外交使節が参列した。2000年の小渕恵三・元首相の内閣・自民党合同葬には、クリントン米大統領や金大中・韓国大統領などが参列し、当時の森喜朗首相が個別に会談した。安倍氏は12年12月の第2次安倍内閣発足から首相退任時まで、80か国・地域を訪れ、各国首脳と信頼関係を築いた。参列を希望する要人が相当な数に上るのは確実で、「規模は想像もつかない」(政府関係者)との声も上がっている。
戦後初の「国葬」となった吉田茂元首相の葬儀は皇族を含む6500人が参列して東京・日本武道館で営まれた。1967年10月31日のことだ。献花を待つ人波は約1キロ離れた毎日新聞社前まで続き、夜までに3万5000人を超えたと小紙は伝えている
▲戦後混乱期に復興の重責を果たした宰相である。「国民あげて冥福を祈る」の大号令の下、当日は競馬や競輪などの公営競技が中止となり、テレビから歌謡曲やクイズなどの娯楽番組が消え、全国各地に鳴り響くサイレンに合わせて職場や街頭で黙とうがささげられた
▲「国民全体を強制的に喪に服させるやり方だ」との反発もあった。葬儀副委員長の塚原俊郎総務長官(当時)は「根拠になる法律もなく苦労した」と振り返っている。異例ずくめの首相経験者の国葬はこれを最後に行われていない
▲岸田文雄首相はそれを55年ぶりに復活させる。参院選中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の葬儀を今秋に国葬で実施すると発表した。長く国政を担ったのは事実だ。凶弾に倒れ、突然の死を迎えた無念は察するにあまりある
▲それでも政権の功罪が検証されていない今、首相の一存で内閣・自民党合同葬の慣例を覆し、国葬ありきで進むことには違和感がある。弔意は一人一人の自由意思で示されるのが、本来の姿のはずだ
▲国民の意思を探る丁寧な進め方があっていい。例えば、国葬実施の国会決議を採択したり、国葬の基準を政府見解で明確にしたりすることは、一つの方法だろう。
(前略)
盛り上げたわりに、無機質…不評に終わった
1967年10月31日に実施された吉田氏の国葬も、今回と同じで政府が閣議決定で決定した。日本には国葬を定める法律がないので国会で議決されることもなく、野党の反対を押し切って政府が実施を決めて、どのような形で執り行うか考えた。
もちろん、戦後復興を進めた吉田氏の功績は多くの国民が認めるところであって、抗議デモもあったが、ほとんどの国民は吉田氏の国葬をすんなりと受け入れた。そのあたりは今のムードとまったく変わらない。
テレビの大騒ぎも今と同じだ。国葬当日は「宰相吉田茂」(NHK)、「人間吉田茂」(フジテレビ)など朝から晩まで全チャンネルで追悼番組を放送。神奈川県大磯の自宅から武道館へと遺骨が運ばれるまでは、民放全局共同で中継をした。
ワイドショーのコメンテーターも「国葬は当然だ。国葬になれないドブネズミどもがガヤガヤ言っているのだ」(読売新聞1967年11月2日)と言って、戦後初の「国葬」を大いに盛り上げた。
しかしそんな世間の盛り上がりと対照的に、会場の武道館はかなりビミョーな空気が流れていた、と読売新聞(1967年11月3日)が報じている。
そんな単調さに拍車をかけたのが、場内で延々と繰り返された、自衛隊音楽隊による「永遠に眠れ」「悲しみの譜」。そして、一般献花者が祭壇を前に吉田氏への思いをかみ締めていると容赦なくかけられる「直ちに退場してください」という場内アナウンスだった。こんな儀礼的なムードが5時間続いた「戦後初の国葬」を同紙は以下のように総括している。
なぜこんなことになってしまったのか。当時の政府の人間がことごとく「無能」ぞろいだったから…などではなく、これが戦後日本における国葬の限界なのだ。
(後略)
子供に見せたくないなあ、と思ってしまった。深夜番組ではない。国会のテレビ中継である。6日の衆院予算委員会で、国民の範たるべき安倍晋三首相が、またも閣僚席から国会議員にヤジを飛ばしたのだ。これまでも物議を醸した首相のヤジや不規則発言だが、国会会議録を調べると出るわ出るわ、今年だけでその数、20回超……。【吉井理記/統合デジタル取材センター】
過去にも野党議員へのヤジで謝罪
<picture></picture>
6日のヤジは、立憲民主党などの会派に所属する今井雅人氏の質問中に発せられた。
加計学園問題を巡り、文部科学省が公表した文書に萩生田光一文科相が登場することから、萩生田氏に経緯を問う今井氏に、閣僚席の首相が「あなたが(文書を)作ったんじゃないの」とヤジった、とされる。当時の動画を見直すと、首相らしき声で「あなたが……」とつぶやく声が記録されている。
これで審議は一時中断。首相は「座席から言葉を発したことは申し訳なかった」と謝罪したが、発言は取り消さなかった。<picture></picture>
振り返れば再登板後の安倍首相、質問中の野党議員に対するヤジが繰り返し問題視されてきたのはご存じの通りだ。
例えば▽「日教組は(献金を)やっているよ」(2015年2月19日、衆院予算委。砂糖業界からの農相への献金問題を追及されて。後日、事実誤認として謝罪)▽「早く質問しろよ」(同年5月28日、衆院特別委で)▽「まあいいじゃん。そういうことは」(同年8月21日、参院特別委で。閣僚答弁の誤りを指摘されて)▽「反論させろよ、いいかげんなことばかり言うんじゃないよ」(17年6月5日、衆院決算行政監視委で。加計学園問題をめぐる質問に)――あたりは、読者もご記憶だろう。<picture></picture>
だが国会会議録を調べてみると、今年だけでも、話題にならなかった「口撃」を含め、少なくとも13の会議・委員会で26回のヤジなど不規則発言が記録されていた。どれも質問者の質問中に閣僚席から発したものだ。
知られざる例を挙げると――。
▽実質賃金の伸び悩みを指摘した立憲民主党・大串博志氏に対して「(自民党は)選挙で5回勝っている」(2月18日、衆院予算委)▽首相に「発言に注意してほしい」と指摘した大串氏に「あなたに注意したい」(2月13日、衆院予算委)▽厚生労働省の統計不正問題を巡り、統計作成などの政治的中立性への疑問を指摘する声について「ないよ、そんなもん」(2月4日、衆院予算委)
ことあるごとに、野党議員に「質問席からヤジらないでください」(2月5日、衆院予算委)などと繰り返してきたのは首相その人である。
首相のヤジ「民主主義に反する」
「品格がなさ過ぎる。戦後、こんな首相がいたでしょうか」と頭を抱えるのは、50年にわたり政界をウオッチしてきたご意見番、政治評論家の森田実さん(87)。
「閣僚席でヤジを飛ばす宰相として思い浮かぶのは吉田茂ぐらいです。1953年3月の衆院予算委で、社会党議員とのやりとりで、吉田が『ばかやろう』とつぶやいたことがマイクに拾われた。これで会議が紛糾し、『バカヤロー解散』を招いた。吉田も品のある宰相とは言えなかったが……」
何より政府の代表である首相が、国民の代表である国会議員にヤジを飛ばす、というのは「三権分立と民主主義の原則に反します。戦後、多くの首相を見てきましたが、これほど品格に欠け、民主主義を揺るがすような発言が相次いだことはなかったと言っていい」と森田さん。
昔なら大変な騒ぎに
もともと若き日の安倍首相、委員会などでも与党席から野党の質問者に盛んにヤジを飛ばす「ヤジ将軍」として名をはせていた時期もあった。
「それでも指導者たる首相は、国民の模範となる紳士として振る舞うことが求められます。戦後の日本の首相は、実質はともかく、自負はあったと思います。安倍さんは果たしてどうなのか」
首相のヤジを許してきた野党にも不満がある、と森田さんの憤まんはやるかたない。
「昔なら大変な騒ぎになりました。今回、野党は首相が謝罪にもならない謝罪を言うだけで許してしまった。発言の撤回ときちんとした謝罪がなければ、審議拒否してでも戦うべき局面だったと思う。それだけの事態が今、進んでいることを私たちは知るべきです」
埋め尽くされた沿道、「安倍さーん」と大声…「信じられない」「強い喪失感」
葬儀会場の東京都港区の増上寺では、12日朝から献花をする人の長い列ができた。霊きゅう車が同寺を出た午後2時半頃、死を悼む人たちで埋め尽くされた沿道からは、「安倍さーん」という大きな声が上がった。
さいたま市の無職の女性(62)は、安倍氏と一緒に納まった写真を手に霊きゅう車を見送った。先月22日、同市内を遊説した際、安倍氏自らが女性の携帯電話を持って撮影してくれたもので、「今でも亡くなったことが信じられない。悔しくて、悲しい」と肩を落とした。
霊きゅう車は、自民党本部や国会議事堂、首相官邸を巡り、品川区にある桐ヶ谷斎場に向かった。自民党本部前には、党所属の国会議員や職員のほか、多くの市民も駆けつけた。
茨城県守谷市の自営業の男性(33)は、同居する祖母(87)と連れだって訪れた。安倍氏の死去後、各国で悼む動きが広がっていることについて、「日本政治の『顔』が突然いなくなり、強い喪失感がある。気持ちの整理ができていないが、お別れを伝えたかった」と話していた。
東京都千代田区の自営業の女性(69)は「柔和で優しく、前向きな姿勢にいつも元気をもらっていた。残念でならない」と下を向いた。
安倍氏は、東日本大震災の復興に力を注ぎ、首相在任中、何度も東北地方に足を運んでいた。被災地からも悼む声が上がった。
2015年2月14日、宮城県気仙沼市の災害公営住宅を視察した際に、近くに住む当時5歳だった女性(13)は、バレンタインデーのプレゼントとして手作りのチョコレートと手紙を手渡した。
安倍氏銃撃、警察庁が国家公安委に検証状況報告「スピード感持ってあたる」
その半月後、首相官邸から届いた封筒には、安倍氏が直筆で署名した手紙が入っていた。「さりちゃんからおうえんしてもらったので、私もおしごとを、いっしょうけんめいがんばります」。女性は「まさか返ってくると思わなかった」と振り返り、今も手紙を大切にしている。「いつか再会できたら、当時の話をしたいと思っていたのに残念です」と伏し目がちに話した。
安倍氏の地元、山口県下関市の事務所には12日、葬儀に合わせて献花台が設けられた。市内外から1200人以上が訪れ、菊の花を手向け、遺影に向かって静かに手を合わせていた。
これからもぜひ一日一回、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!!!